谷三十郎てきな生活

なりきって生活するのはとてつもなく大変で楽しい

みなもと太郎「風雲児たち 外伝」を読んだ。なんと藤堂平助が登場した。

が愛してやまない作家の一人がみなもと太郎先生である。

 学生時代に代表作『風雲児たち』に出会ったときは、こんなに自分が探し求めていた漫画があったものかと感動したものだ。そしてその原点たる『冗談新選組』もしっかり拝読させてもらった。

 近藤土方の多摩時代から、近藤の死までをたった三回で駆け抜け、しかしそこに彼らの栄光と没落がそこにあるのだ。新選組をギャグ漫画として描くというのは、ああいうことなのだ。

 そして氏に傾倒した僕は、彼の著作を徹底的に読み漁った。こうして先日手に入れたのが『風雲児たち外伝16 油小路の決闘』である。「油小路の決闘」というタイトルで思い出すのは、司馬遼太郎新選組血風録』の第一作目。

 『風雲児たち』にも伊東甲子太郎は名前だけ登場する。しかも第一話の冒頭で、幕末に名を馳せた風雲児を羅列する際に「きねたろう」の読みでである。ただし残念なことに、本編に彼が登場する前にみなもと太郎先生がご逝去されたため、ビジュアルはもちろん、氏がどういった甲子太郎を描こうとしていたのかは、全く不明なのだ。

 そんなワケで、描かれなかった伊東甲子太郎がいかにして描かれているのか。

 それを調査するため、我々取材班は頁をめくったのである…。

 

武田観柳斎、登場!?

 まず、近藤勇が「学者が欲しい」といったことを呟くところから始まる。学者嫌いの土方はこれに反対した。だが近藤も最早多摩の百姓ではない。場合によっては幕臣たちと世相を論議する必要性もある。頭の立つ隊士の加入は、新選組の課題であった…。

 とこのように、オーソドックスなまま話が進む。まさにみなもと太郎の歴史物といった風である。「油小路の決闘」の執筆時期は不明だが、このスタンスを見るに「世界名作劇場」を手掛けていた頃なのではないか。

 と、こうして学者の参入を二人が論議していると、走って来る男が一人。

 その男がなんと! メガネをかけて、ぼさぼさ髪を後ろに束ねた新選組隊士ではないか! もうお分かりだろう。新選組隊士でメガネを着用し、そして「学者」の話の直後の登場。これはまさしく、あの男ではないか? あの甲州流軍学者ではないか? あの福田広ではないか!?

「あたしゃね 新選組藤堂平助ですよっ」

 藤堂平助だった。

 メガネの藤堂平助というのは大変珍しい。聞けばこのキャラクターは、氏のアシスタントを模したらしい。思えば武田観柳斎がメガネという一般像すらなかった時代だ。そら出てくるはずがないのである。

 

伊東甲子太郎、特に目新しいトコなし!

 その後登場した伊東甲子太郎だが、困ったことになった。特筆するようなものが特にない、オーソドックスな伊東である。

 ただ露骨な悪役というよりは、狂言回しとして藤堂平助がおり、そこで策謀を巡らせるも上手くいかない伊東甲子太郎といった、ギャグ漫画テイスト(ギャグ漫画だから当然だけど)。

 チキチキマシン猛レースのブラック魔王とケンケンのコンビが近しいものを感じる。

 だがギャグ漫画であるからこそ、氏の描き方はいつも客観的である。伊東と藤堂も完全な善人ではないし、かといって彼らを描く本作でも近藤と土方が冷酷な敵役というものでもない。

 特に油小路で土方が、苦悩の表情で藤堂を斬り、上からの視点で夜の油小路に死体の転がるコマは流石としか言いようがない。漫画表現としての技術が卓越している。伊東たちが脱退した後、細線だけで描かれた大広間。その中央に小さく座る近藤と土方な ど、彼らの寂しさが痛いほど伝わって来るじゃないか。

 かくして、伊東甲子太郎は惨殺され、藤堂平助もそれに続いて死んだ。

 あとがきを読むと、やはり原典は血風録と始末記だったようである。

 

読み終わり! あとがきを読む!

 大筋は語り終えたため、細かい表現などに話を移す。

 みれば油小路へ向かう伊東が「竹生島」を歌ったり、伊東の死体への擬音が「ぺら~」とある。これはそのまま血風録からの引用である。竹生島はともかくとして、伊東(死体)の擬音が「寒さで血が凍り、袴が板のようになり、平べったく見えた」という証言が元だなんて誰が気づくんですか、みなもと先生。

 こうした小ネタを、氏はあとがきで丁寧に「ギャグ註」として紹介してくれている。そこで惨殺シーンはカットした、とギャグ漫画としての信念が語られていた。

 そしてその後で「風雲児たちの方ではどう描こうか」ということが書いてある。

 一体、氏は油小路をどう描こうとしていたのだろうか。

 研究が進み、策士のイメージが払拭されつつある伊東甲子太郎は、また彼と近藤土方の間で悩み続けた藤堂平助は、どう描かれるつもりだったのだろうか。答えは永久に謎のままになってしまった。

 ただ、一つだけ推察の容易いことがある。

 その時は藤堂平助が、チーフアシスタントを模したメガネ隊士ではなかったろうということである。