谷三十郎てきな生活

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幕末映画鑑賞!「六人の暗殺者」 その①

Amazonプライムにある日、一本の映画が視聴可能になっていた。その名も『六人の暗殺者』。

 幕末映画であり、作成されたのは1955年らしかった。新選組を一大ブームたらしめたドラマ作品『新選組血風録』が1965年の作品だから、ブームより前の、まだ新選組のイメージが流布する前の作品である。

 つまり、我々がよく知る新選組像が創られる前の遺物というわけだ。

 今、我々が新選組作品を観るor読むなどして「うーん、お約束だなあ」と思うシーンはいくつもある。

 例えば、池田屋事件で————

 

近藤「総司、そっちは任せたぞ!」

沖田「はい!」

 背中を預け、それぞれ暗闇の中で戦う近藤と沖田。

 沖田は流石に強い。一刀のもとに浪士を斬り伏せる。そしてとどめの一撃! と思ったが、様子がおかしい。倒れ込み、咳こむ沖田。これ幸いと逃げる浪士。

 咳きこんだ沖田の手のひらには、血痕が……

 

 というシーン(うーん、お約束だなあ)

 また例えば、同じ池田屋事件で————

 

 あらかたの浪士を片付けたらしい隊士が一人、肩で息をしながらやってくる。藤堂平助だ。激戦による激戦で余程疲れたらしく、色白の額に汗が照り返している。少し、休憩……頭の鉢がねを外した、その時だった。

 どこかに隠れていた浪士がダダッと飛び出し、一閃!

 藤堂の綺麗な眉間。そこから斜めにザックリと、切傷が!

 

 というシーン(皆さんご一緒に。うーん、お約束だなあ)

 あるあるだよね、あれ、何の話だったっけ。

 そう、つまり! 今回の『六人の暗殺者』は、そうしたおなじみエピソードが一切反映されていない作品なのである。とすれば、逆に新鮮に見れるんじゃないだろうか? またそこから、こうした時代も確かにあったのだと、歴史の流れを感じることができるのではないか?

 というわけで見て行こうと思う。

名作タイトルの法則

 初っ端から仁王像と共に「六人の暗殺者」のタイトルが映し出される。そういえばこのタイトル、思いっきり『七人の侍』のパロディと思われる。こちらは前年に公開されているのだけど、ひょっとしたら当時の群像劇の多くが「〇人の△△」だったんじゃないだろうか。

 最近でこうしたタイトルと言えば、今放送している大河ドラマ『鎌倉殿の13人』。その監督たる三谷幸喜が、「名作映画は、〇人とつくことが多い。加えてそれが『3の倍数』だと、なおよい」というようなことをどこかで言っていた。

 なんと、名作の基準を満たしているではないか。

 期待が高まるね。

 そういえば三谷で幕末といって忘れちゃいけないのが、これも大河ドラマの『新選組!』。これのOPのラストで、どこかの山門が版画で映し出される。その両脇の仁王像が門の中を睨むと、向こうから新選組の隊士たちが歩いて来る。

 この映画も、どこかの山門の仁王像がタイトルで出てきた。もしや三谷がこの映画を視聴していて「これは良い!」とOPの参考にしたのか、もしくはこれより前から「幕末で新選組を出すと言ったら、仁王像だ!」という認識があったのか……。

 ここまで浪漫を馳せといてなんですが、多分ただの偶然だと思います。

 

鞍馬天狗×6

 冒頭は主人公の侍が、今まさに龍馬暗殺を企む刺客たち(つまり、六人)を京の街で見かけるところから始まるのだけども、思わず笑った。

 なぜって、刺客たちの恰好が全員鞍馬天狗嵐寛寿郎とおんなじなのである。黒着流しに黒覆面。調べて見たらこのイカ覆面、「宗十郎頭巾」というらしいが、それが六人連れ添って京の街を、悪い顔して近江屋へ直行。もっと騒げよ街の皆! 龍馬~~!

 この鞍馬天狗は「六人の暗殺者」のさらに20~30年前の作品。どうやら「鞍馬天狗もの」という一ジャンルを築いたぐらい有名だったみたい。皆さんご存知笑点林家木久扇がたびたびネタにする「木久蔵ラーメン」てのがあるが、そのパッケージイラストも、木久扇師匠が鞍馬天狗のコスプレをしているのだ。

 時代劇における鞍馬天狗は、今でいうライトノベルにおける「なろう系」とか「異世界物」に近しいようだ。

 そして今作冒頭では、鞍馬天狗×6が近江屋めがけて列をなす。こういう名作へのオマージュが、本作には随所にみられる。

 回想シーンの坂本龍馬(故)が、女の子に膝枕してもらいながら「これは命の洗濯だよ」という。この「洗濯」というのもやはり、「日本を今一度、洗濯いたし申し候」という、もはやお決まりの彼の格言のオマージュだろう。

 

「ヒーロー」坂本龍馬と、「その友達」中岡慎太郎

 う~ん、面白い映画である。特に坂本龍馬が良い。

 というのも坂本龍馬は最近、研究されつくした感があると、筆者は常々思っていた。何故なら彼の人物像で目新しいと思う作品はほとんどないからである。天然な龍馬、策士な龍馬、熱血な龍馬、陰険な龍馬、エトセトラエトセトラ……。 

 そこにあって本作は、もう本当に古典のような龍馬像なのである。全然現在の我々が思う「龍馬」じゃない。そもそも役者さんが貫禄たっぷりで、落ち着き払ったダンディな印象。しかも土佐弁ばりばりではなく「まあ、落ち着きなさいよ」といった丁寧な口調。勝海舟より貫禄あるんじゃないか?

 よくビジネス書や安い歴史物で「坂本龍馬は実は恰好悪いところがあってね」という帯の物を見る。そして大抵、寝しょんべんとか、袴の紐べろべろとか、武市の庭で立ちしょんべんとか、もう「それしか無いんか!」というおなじみエピソードが収録されている。

 あれを読んで果たして「え! 龍馬ってそんな人だったの!」と思う人間がいるのかと、本気で筆者は思っていた。今や龍馬にそんな二枚目の「かっこいい」という感想を持つ人は少ないと思うし。

 だが「六人の暗殺者」の龍馬をみて、そしてこの「龍馬」が当たり前だった時代を想うと、もしかするとご老人なんかはびっくりするのかもしれない。でもそれも切ないと思う。昔からの憧れだった龍馬像を、老後にぶち壊されるのはかわいそうだと思う。

 ……何の話だったっけ。

 そうそう、坂本龍馬が古すぎて逆に新鮮。良くも悪くも時代考証がまだ未熟だった時代なのだと思う。それを証拠に中岡慎太郎が「何で倒幕しねえんだよ」と龍馬にくってかかっていた。君たち同志じゃねえのかよ。

 

 さて、長くなったのでいったんここまで。

 ここで気づいた哀しい事実と言えばただ一つ。

 まだ新選組が出て居ないことである。